1月6日の日経新聞に「科学技術史に残る医大な発見や発明は、間違いや失敗をきっかけに生まれた例がたくさんある」とありました。「失敗を許さない風潮が強まると驚くような成果が生まれにくくなるかもしれない」と記事は続きます。
1,000回の失敗経験がある研究者と100回の失敗経験しかない研究者では、前者の方が大発見につながる偶然と出会う可能性が高いのではないか、と考えたことがあります。
それを証明するような学説があるのだろうかと思ってWEBサイトを探してみると
「『失敗は成功のもと』は科学的に正しかった!」
という記事(↓)がありました。
この記事によると、マウスに迷路を走らせる実験をすると、初期段階で多くの失敗を経験したマウスの方が結果的に最短ルートを早く見つけることができるそうです。
研究者の場合、いつまでが初期段階かは分かりませんが、「この10年で1万回の失敗をしました。そろそろ大発見ができると思います」と言われても初期段階は過ぎてしまっているように感じます。
脱時間給制度は、働いた時間ではなく成果に応じて報酬を払う仕組で、研究開発は脱時間給制度の対象業務の一つになっています。「1回も失敗せずに大きな成果を上げる可能性もある」と考えれば脱時間給制度に適した職種と言えますが、若いうちにたくさんの失敗を経験する必要があるならば、時間に対して報酬を払うべきかもしれません。
「結局のところ、脱時間給制度は時間外手当を削減することが目的で、従業員を定額で何時間でも働かせることができる制度だ」と批判する人もいますが、仕事の原点は成果に対する報酬です。
・手塩にかけて育てたリンゴが、収穫前に台風で落ちてしまった。
・漁に出たけれど魚が一尾も採れなかった。
・一生懸命に作曲したけど、いい曲だと思ってくれる人がいない。
・タクシーを運転したけど、その日は誰も乗ってくれなかった。
上記のような場合、経営者や個人事業主なら報酬がないことに文句は言えません。一方で雇われている人の場合、働いた時間に対する報酬を要求することができます。
成果がなくても給料をもらえるのはサラリーマンの特権とも言えますが、そのせいで成果がないことに悔しさを感じない人もいます。また、大きな成果があっても自分の報酬が時給でしか計算されないのなら、仕事の楽しさが半減してしまうかもしれません。
悔しさや楽しさを強く感じるタイプの人は、成果を上げるために工夫しようと考えます。
脱時間給制度はサラリーマンに仕事の楽しさや悔しさを思い出させ、創意工夫を促す制度だと思うので、個人的は賛成です。しかし研究開発の仕事でさえ、成果と時間にはある程度の関係性があります。
チャレンジングな失敗や試行錯誤に苦労している若者がいたら、温かく見守ってあげたいものです。
「それは仕事じゃないよな。俺はそんな指示してないから、残業じゃないよな。できれば家でやってくれないか」
などと言ってしまったら、大発見やイノベーションとは無縁の会社になってしまうので注意しましょう。