日本人の生産性は低い。 私は日本人である。 だから、私の生産性は低い。 こんな三段論法に思い至ってしまいました。お客さまを招いてのセミナーを開催した日のことです。 同僚のアメリカ人と協力して準備を進め、私は社内の準備委員長的な立場にありました。セミナーの講師はカナダに住んでいるイギリス人です。講師(バーデット)との連絡はアメリカ人の同僚(パーセル)に任せていました。 バーデットは組織人事系の経営コンサルタントで、欧米を中心に世界各国でコンサルティングやセミナーをしています。 バーデットがセミナーのパワーポイント資料を送ってきたので、私はそれを会社のパソコンに保管しました。バーデットは自分のモバイルパソコンを使う予定ですが私はバックアップのパソコンが必要だと考えました。 セミナー会場はホテルニューオータニで、バーデットは講演のプロです。パーセルは会場にバックアップのパソコンを持っていく必要はないし、バックアップ用のパソコンで事前確認することは時間のムダであると考えました。 「万が一、バーデットさんのパソコンがつながらなかったら、終わりですよ」 私はパーセルに言いました。しかしパーセルは 「ジョン(バーデット)はセミナーのプロフェッショナルで、ニューオータニは会場運営のプロ。万が一は起こらない。まあ、でも日本人はだいたい、いつもそう。慎重。」 と言いました。 バーデットはセミナーの3時間前にモバイルパソコンの接続を確認し、本番も無事に終わりました。そして私はパーセルの考え方を理解することもダイバーシティの一つだと感じ、リスク管理と効率性について考えました。
大手電機メーカーに勤めている友人に会ったとき、この話をしてみました。 「万が一、パソコンが使えなかった場合、うちの会社なら、間違いなく磯にバッテンがつくよ。でもアメリカ人の考え方だと、セミナーの講師がプロ失格ということになるのかもね」
それを聞いて私は、かつての転職相談のことを思い出しました。 一流のコンサルティングファームに勤めている人から 「うちの会社では失敗の責任は個人に帰属します。上司は部下の行動をいちいちチェックしたりしません」 と聞いたことがあります。そのとき私は 「部下の行動をチェックして、リスクを回避することも上司の仕事ではないのですか」と聞いてみました。 「リスクの程度や種類によりますが、基本的にはチェック不要です。上司の確認がないと失敗する人は、うちの会社にはいられません」
なるほど、失敗の責任が個人に帰属すると上司は細かなチェックに時間を取られずにすみます。逆に「部下の失敗は上司の責任」というカルチャーだと、上司はマイクロマネージメントに走り、より高い次元の仕事に手が回りません。 「部下の能力が低いだけで、私に責任はありません」と主張する上司の下では働きたくありませんが「失敗したらプロとして失格」の自覚は持ちたいものです。