司馬遼太郎の小説『世に棲む日々』を読みました。文庫本で全四巻のボリュームがあり、前半の主人公は吉田松陰、後半の主人公は高杉晋作です。
幕末を描いた小説ですが、司馬遼太郎は物語の中で、日本人の民族的特徴について言及することも多く、第三巻の後半に「ヤクニン」というサブタイトルのついた節があります。
一部を引用してまとめると以下のようなことが書かれています。
“「ヤクニン」という日本語は、この当時、ローニン(攘夷浪士)という言葉ほどに国際語になっていた。役人というのは徳川封建制の特殊な風土から生まれた種族で、何事も自分の責任で決定したがらず「上司の命令であるから」といって明快な答えを回避し、あとはヤクニン特有の魚のような無表情になる。”
そして幕府に対して開国を迫る外国人から「上司とはだれか」と問い詰められると、その答えは「老中会議の面々」となるそうです。この節では、太平洋戦争についての記述もあり、もう少し引用すると
“日本国の存亡をかけた大戦でさえ、いったいだれが開戦のベルを押した実質的な責任者なのか、よくわからない。”
とあります。開戦時の首相だった東条英機は御前会議に出席する「上司」の一人にすぎない存在であり、煙のような存在の「会議」の決定で戦争が始まった、と司馬遼太郎は解説しています。
この節を読んで思い出したのが、東京都が築地市場を豊洲に移転した際に話題になったニュースです。移転先の豊洲で土壌汚染が発覚したため、土を入れ替えて盛り土する計画だったものが、豊洲市場の建物が完成してみると、盛り土ではなくコンクリートの地下空間があり、そこに水が溜まっていた、というニュースです。事実関係の詳細は忘れていましたが、あの当時(2016年)、盛り土するはずだった場所にコンクリートの地下空間が出来上がっているのに、その変更に関する意思決定の責任者が誰か分からないなんてことがあるのだろうか、と驚いたことはよく覚えています。
このニュースに関して「結局、責任者は判明したのだっけ?」と思ってWEBサイトを検索してみました。2016年11月に小池都知事は、都の関係者18名に責任があり、そのうち12名を処分した、と発表しています。(すでに都庁を退職していた6名は処分の対象外。)
うーむ…。「会議で決まったことであり、責任者は会議に関係した上司たちみんな」と言っているようで、幕末に開国を迫った外国人たちが「ニッポン人、ゼンゼン、カワッテマセンネー」と天国で笑っていそうです。
しかし都庁に限らず、民間企業においても、会議で決まったことの内容は明確だけど、だれが決めたのか、はっきりしないケースはあります。「誰かが決めたことでなく、会議で決まったことにしておいた方が、都合がいい」とみんなが思っていると、失敗したときに誰も責任をとらずにすみます。しかし、そんなことを続けていると、会社の業績はじわじわと悪くなっていきます。
事なかれ主義で漫然と仕事をしていると、魚のような顔の「ヤクニン」になってしまうので注意しましょう。