2018年12月30日日曜日

「ふるさと納税」の実態は「ふるさと節税」?/『ISO通信』 2018年12月号 vol.30

「ふるさと納税」
どうしてこの制度が成り立っているのか不思議です。
きちんと計算すれば、確実に得をする仕組で、しかも高額納税者ほど還元額が大きい。金持ち優遇制度だ!と怒る人がいそうな気がしますが、今のところ少数意見のようです。

ご存じのかたもたくさんいると思いますが、この制度では2千円でいろいろな物が買えてしまいます。例えば、ある自治体に3万円の寄付をすると所得税と住民税から2万円8千円が控除されます。寄付してもらった自治体は返礼として9千円くらいの品物を送ってくれるので、返礼品リストに自分の欲しいものがあれば、それを2千円で買うことができるわけです。(「返礼品を買う」という表現は制度の趣旨に照らすとかなり不適切ですが、実感としてはそうなります。)

「やらない理由がない」と友人に勧められたとき、そんなウマい話は危ない、と思って総務省のホームページを見てみました。
*****
「納税」という言葉がついているふるさと納税。
実際には、都道府県、市区町村への「寄附」です。
一般的に自治体に寄附をした場合には、確定申告を行うことで、その寄附金額の一部が所得税及び住民税から控除されます。ですが、ふるさと納税では原則として自己負担額の2,000円を除いた全額が控除の対象となります。
*****
以上が総務省の「ふるさと納税ポータルサイト」に記載されています。



私は栃木県で生まれ、大学生になって東京に出てきました。18歳まで栃木県の行政サービスを受けてきたわけですが、故郷の自治体に住民税を納めたことはありません。自分を育ててくれた「ふるさと」に納税できる仕組みがあってもいいではないか、ということがこの制度の原点だそうで、その趣旨には賛同できます。

そして、ふるさと納税のサイトを開いてみると、縁もゆかりもない自治体の返礼品に惹かれてしまいました。というか、買いたいと思っていた商品そのものが返礼品になっているのです。
うーん、賛同したはずの趣旨とはまったく違う自治体に寄付していいのだろうか、と思いましたが物欲に負けました。

「ふるさと納税」をする人の数は爆発的に増え、今年は300万人近い人が利用しているそうです。しかし、2千円で高額商品を買えてしまう仕組みには違和感があり、豪華な返礼品はやがて消えていくと思います。返礼品が質素であれば、自分が生まれ育った故郷ではない自治体に寄付する人は減るはずです。
仮に制度が変更になって返礼品が廃止されても、たまには故郷に寄付してもよいと思っていますが、実際には面倒と感じて行動しないかもしれません。
この制度がどのような形で定着していくのか気になりますが、税金のことを考えるきっかけになることは確かです。

*「ふるさと納税」してみようと思った方は、総務省などのサイトで詳細を確認し、全額控除の上限額、実施時期(12月31日の場合、完了時間)、一時所得の課税などについてご注意下さい。

2018年11月25日日曜日

プロフェッショナルになろう!(二重の守りと生産性のバランス)/『ISO通信』 2018年11月号 vol.29

日本人の生産性は低い。
私は日本人である。
だから、私の生産性は低い。

こんな三段論法に思い至ってしまいました。お客さまを招いてのセミナーを開催した日のことです。

同僚のアメリカ人と協力して準備を進め、私は社内の準備委員長的な立場にありました。セミナーの講師はカナダに住んでいるイギリス人です。講師(バーデット)との連絡はアメリカ人の同僚(パーセル)に任せていました。

バーデットは組織人事系の経営コンサルタントで、欧米を中心に世界各国でコンサルティングやセミナーをしています。
バーデットがセミナーのパワーポイント資料を送ってきたので、私はそれを会社のパソコンに保管しました。バーデットは自分のモバイルパソコンを使う予定ですが私はバックアップのパソコンが必要だと考えました。

セミナー会場はホテルニューオータニで、バーデットは講演のプロです。パーセルは会場にバックアップのパソコンを持っていく必要はないし、バックアップ用のパソコンで事前確認することは時間のムダであると考えました。
「万が一、バーデットさんのパソコンがつながらなかったら、終わりですよ」
私はパーセルに言いました。しかしパーセルは
「ジョン(バーデット)はセミナーのプロフェッショナルで、ニューオータニは会場運営のプロ。万が一は起こらない。まあ、でも日本人はだいたい、いつもそう。慎重。」
と言いました。

バーデットはセミナーの3時間前にモバイルパソコンの接続を確認し、本番も無事に終わりました。そして私はパーセルの考え方を理解することもダイバーシティの一つだと感じ、リスク管理と効率性について考えました。
大手電機メーカーに勤めている友人に会ったとき、この話をしてみました。
「万が一、パソコンが使えなかった場合、うちの会社なら、間違いなく磯にバッテンがつくよ。でもアメリカ人の考え方だと、セミナーの講師がプロ失格ということになるのかもね」
それを聞いて私は、かつての転職相談のことを思い出しました。
一流のコンサルティングファームに勤めている人から
「うちの会社では失敗の責任は個人に帰属します。上司は部下の行動をいちいちチェックしたりしません」
と聞いたことがあります。そのとき私は
「部下の行動をチェックして、リスクを回避することも上司の仕事ではないのですか」と聞いてみました。
「リスクの程度や種類によりますが、基本的にはチェック不要です。上司の確認がないと失敗する人は、うちの会社にはいられません」
なるほど、失敗の責任が個人に帰属すると上司は細かなチェックに時間を取られずにすみます。逆に「部下の失敗は上司の責任」というカルチャーだと、上司はマイクロマネージメントに走り、より高い次元の仕事に手が回りません。

「部下の能力が低いだけで、私に責任はありません」と主張する上司の下では働きたくありませんが「失敗したらプロとして失格」の自覚は持ちたいものです。

2018年10月27日土曜日

「リクエスト」と「チャレンジ」の違い /『ISO通信』 2018年10月号 vol.28

プロ野球に「リクエスト」の制度が導入された最初のシーズンも大詰めを迎えています。

プロ野球に興味のない方のために説明すると「リクエスト」はテニスやバレーボールの試合では「チャレンジ」と呼ばれているシステムです。

「チャレンジ」とは審判に対する不服申し立て制度で、ビデオ判定によって誤審が明らかになると「チャレンジ成功」となり、判定が覆る仕組みです。

米国のメジャーリーグでも「チャレンジ」と呼ばれていますが、日本のプロ野球では
「リクエスト」
この言葉を聞いたとき、少年野球の審判を思い出しました。
「審判に選手が『チャレンジ』するなど、あってはならないことです。ビデオ判定は時代の要請かもしれませんが『リクエスト』にして下さい」命名の背景に、アマチュア野球界からの要請があったのではないかと想像してしまいました。単なる妄想ですが…。

審判は絶対である、審判に異議を唱えてはいけない、少年野球の世界ではこのように教えられることがあります。野球に限らず、少年期のスポーツ指導の現場では、「審判は絶対」と教えることは多いようですが「それが、子供を思考停止にさせる」と少年サッカーを指導している友人が言っていました。

審判は絶対である、ルールは絶対である、指導者は絶対である、権力者は絶対である。
そのように刷り込まれ、コーチや監督を絶対的な存在として崇拝するようになれば、協会の理事長に意見するなどありえない、という雰囲気が出来上がるかもしれません。
強いリーダーが現れると、長期間にわたって権力を維持しやすい構造がスポーツ界にはあり、それは不祥事につながる危うさをはらんでいます。

仕事においても、上司の言葉は絶対であると考える人もいて、私はかつて「お前は考えるな。俺の言う通りに動けばそれでいい」と上司から言われたことがあります。
その人の部下だった経験のある先輩が「あの人から学べるのは、〇〇と××だけで、それ以外のことは学ぶ必要がないから、気にするなよ」と言ってくれたので気持ちは楽になりました。

そして当時、別な先輩が下の言葉を教えてくれました。

Rule No.1:The boss is always right.
Rule No.2:If the boss is wrong, see rule No. 1.

このように考えてしまえば楽です。また、私が所属していたチームは結果も出していました。しかし、ロボットのように働いていたので、まったく楽しくありませんでした。まさに思考停止の状況で、成長できないという危機感さえ失いつつありました。


部下に対して「お前は考える必要がない」とはっきり言う人は珍しいのだと思っていましたが、転職相談の仕事に就いて、そうでもないことを知りました。

部下の行動のすべてを監視し、細かく口を出すマイクロマネージメント型の上司も珍しくありません。そのやり方で成功している経営者もいるのですが、そのような会社は社員の定着率が悪い傾向があります。

上司との人間関係が転職を考える一番の理由である場合、会社に対して配置転換を「リクエスト」してみる手はあります。異動によって上司が変わり、それで気持ちが納まるなら転職を焦る必要はありません。しかし、異動で楽になることを求めるのではなく、今の会社では成長できない、と感じるなら転職に「チャレンジ」する価値はあります。

チャレンジした後は楽ではないかもしれませんが、思考停止や指示待ち人間になることはないはずです。

2018年9月24日月曜日

AIの判断にどこまで「お任せ」しますか? /『ISO通信』 2018年9月号 vol.27

人工知能(AI)関連のセミナーに参加し、機械学習にはSupervised Learning(教師あり学習)と呼ばれる手法とUnsupervised Learning(教師なし学習)と呼ばれる手法があることを知りました。

例えば、囲碁のコンピュータプログラムにおいて、「教師あり学習」では過去の棋譜を読み込んで「定石」を覚えることからスタートします。しかし「教師なし学習」のプログラムでは過去の棋譜を分析する必要はなく、囲碁のルールに従って自己対局を繰り返すだけで強くなっていくそうです。



人間の世界チャンピオンを破って有名になった「アルファ碁」は「教師あり学習」のプログラムで、その後に開発された「アルファ碁ゼロ」は「教師なし学習」のプログラムです。
アルファ碁とアルファ碁ゼロが対戦すると、アルファ碁は歯が立たず、その上、アルファ碁ゼロは最初から定石では考えられない打ち方をするそうです。
どちらもAIなのに、なんとなく「アルファ碁」を応援したくなってくるのは私だけでしょうか?


さて、企業の人材獲得においてもAIが力を発揮し始めていますが、「定石」を無視した人物をAIが推薦してきたらどうでしょう。
例えば、ビジネスの世界とはまったく無縁の人をAIが採用すべきと判断した場合、その人を採用する決断はできるでしょうか。
AIが推薦した人物が必ず活躍する保証があるのなら、ビジネス経験がない人を採用する企業も出てくるはずです。しかし「保証」と言えるほどのデータが積み上がるまでには、かなり時間がかかりそうです。

「AIの推薦した人物を採用して失敗した場合、誰が責任をとるのか」それが日本では大きな問題になります。
「学歴のない人を採用して失敗した場合、誰が責任をとるのか」と同じ構造の問題です。

学歴に関して、ある大企業の人事マネージャーから
「我々の世代までは学歴など気にしないのですが、上の方に行くと結局は学歴がネックになってしまうのです」
と聞いたことがあります。
経営幹部の中にも「仕事さえできれば学歴は問わない」と本気で考えている人はたくさんいますが、失敗したときの責任は負いたくない、との思いもあります。
学歴の高い人を採用して失敗したのなら、社長から「なぜあんなやつを採用したんだ!」と叱責されたとき「すいません。学歴に騙されました」と言いわけすることはできます。一方で、学歴を気にせず採用した人が活躍しなかった場合「すいません。私に見る目がありませんでした」と答えざるを得ません。

AIの推薦だけを根拠に採用した人が活躍できなかった場合、
「私に見る目がありませんでした」と言う必要はなく
「AIが推薦した根拠は不明ですが、統計的には95%の確率で活躍するはずでした」
などと言えばすみます。
しかし実際にはAIの判断だけで採用を決定することはなく、人間が面接して最終結論を出すことになるでしょう。

それとも
「我が社の経営企画はお笑い芸人の○○さんに任せるべきだとAIが判断したので、トランサーチさんにヘッドハントしてもらいたいのですが」
そんな依頼が来る時代になるのでしょうか…。

2018年8月26日日曜日

親の意見と茄子(なすび)の花にないものは? /『ISO通信』 2018年8月号 vol.26


夏休みに帰省すると、実家の両親に疲れている様子がありました。
80歳近くなる父は、亡くなった兄(私の伯父)の遺産を整理する立場になっていて、珍しく弱音を吐いていました。
父を手伝うため、法務局に行って不動産の登記簿を確認しました。登記簿だけでは相続する権利のある人を完全に特定することはできず、遺産分割に関する合意を形成することはかなり困難です。不動産の処理だけでなく、他にもやるべきことが山のようにあり、疲れとストレスで父が参ってしまわないかと心配になりました。

兄弟姉妹の関係が平穏であるのは、整理した遺産をすべて均等に分配する方針を父が示しているからです。息子ながら「エライ!」と褒めてあげたいところですが、父親に「エライ!」と声をかけるほど偉くないので、心の中に留めておきました。

法務局や銀行を回って実家に戻ると、父親は
「均等に分配する方針は変えないけど、それを考えれば考えるほど、疲れるな」
と言いました。
「そりゃあ、そうだよ。労力の分を評価してもらってもいいんじゃないの」
と私が言うと、父は
「それは、もめる元になるからやらない」
と断言しました。

しかし、時間が経ってまた別の問題で頭を悩ませていると愚痴めいた言葉も出てしまいます。そこで
「親の背中を見て子供が育つと思えば、少しはやる気が出るんじゃないの」
と言ってみました。すると父は表情をパッと明るくして「そうだな」と言いました。
私の一言で父が報われたとは思いませんが、取り組む気持ちに変化はあったかもしれません。

新人や20代の頃に「なんでこの仕事を私がやらなければならないのだろう」と思った経験はだれにでもあると思います。

他の人でも出来る仕事
やっても評価につながらないように思える仕事
誰かがやらなければいけない事は分かるけど、出来れば自分に回ってきて欲しくない仕事

よく見ていると、そういう仕事をさりげなく引き受けている人がいることが分かります。一方で、職務命令だからと仕方なしにやっている人もいます。経営者や管理者の視点では、どちらの人にも声をかけ「報われている」「見てもらっている」という気持ちになってもらうことが大切です。

雑事をさりげなく引き受けている人が必ず出世するわけではなく、それらの雑事を巧妙に避けながら出世の階段を上る人もいます。しかし、雑事を人に押し付けるようにして出世した人が役職を離れると、周りから人がいなくなる傾向があるようです。

久しぶりに親から教えを受けたので、実践面でも忘れないようにしようと思います。

追伸
ことわざ:親の意見と茄子の花は千に一つも仇はない
「仇(あだ)」は「徒」であり、なすには実を結ばない「徒花」はない、ことから来たそうです。
(今日まで、「仇はない」でなはなく「無駄はない」だと思っていたことを白状します…。) 

2018年7月29日日曜日

都市対抗野球といえば大企業。大企業といえば… (2018年7月号 vol.25)

クールビズ、すっかり定着しました。

昔、総理大臣の大平さんが、半袖のスーツを着ているのを見たとき、
「こんなの着るくらいなら、上着なしにすればいいのに」
と子供心に思ったものですが、あの頃から比べると、おじさんたちの頭もだいぶ柔らかくなったということでしょう。

と書きながら、あの頃子供だった私が、今やおじさんを代表する世代になっていることに気づきました。
「ぼくらの感覚は、クールビズを定着させるくらいに若いままなんです」
と言いたいところですが、我々の世代は「バブルおじさん」と呼ばれることもあるそうで、どうも旗色が悪いようです。

少し前の日経新聞に「さよなら、おっさん」と大きな文字で書いてありました。

ニューズピックス社が出した全面広告ですが、その下に書いてある小さな文字を読まずにカチンときたおじさんたちも多かったようです。
凝り固まった価値観から離れることが出来ず、新しいことに挑戦できないマインドを、ニューズピックス社は「おっさん病」と定義しています。「さよなら、おっさん」は、おじさんたちを社会から排除したいわけではなく、ニューズピックス社が提供する情報に接すれば「おっさん病」にかかる心配はないですよ、という宣伝です。

先日、都市対抗野球の応援に駆り出された友人が
「お偉いさんにビール注がされる女の子もかわいそうだよ。あれじゃあ、会社辞めてベンチャー企業に行きたくもなるわ」
と言っていました。ビールを注がれているエライ人が「女子社員がビールを注ぐのは当たり前」と思っているなら、「おっさん病」の罹患者だと言えるでしょう。
「ビールを注ぐことも『おじさん操縦法』の一つ」と考える人もいれば「こんなことやってるくらいなら、外資かベンチャーでバリバリ仕事したい」と思う人もいます。外に出ることを決めてサクッと転職する人もいれば、大企業に残るべきか転職すべきかを悩みつつ相談に来る人もいます。

悩みを抱えている人のほとんどは、大企業を辞めても大丈夫なのだろうか?という漠然とした不安を持っています。そんなときは「大丈夫」の中身が何かを確認すると、すっきりしてもらえます。
・転職先で自分は活躍できるだろうか。
・転職先の人間関係で失敗したらどうしよう。
・大企業に残った場合と転職した場合では、どちらが生涯年収は高くなるだろう。
・大企業と転職後では、どちらがかっこよく見えるだろう。(世間体はどうだろう。)
・転職先が倒産したらどうしよう。

何を心配しているのかが分かると、残るべきか転職すべきかの判断基準も明確になります。

都市対抗野球の応援でも社員旅行でも、会社のイベントを楽しめているうちは転職を考える必要はないと思います。
経営サイドの視点からみれば、イベントに参加している社員に「駆り出され感」があるようなら、社員の流出を心配する必要があります。

雇用の流動化は「おっさん病」対策の一つであり、転職者がいないと私の仕事は無くなってしまうのですが、一つの会社で勤め上げる人のマインドも個人的には好きです。

生え抜き社員と転職して来る人が刺激し合って、「おっさん病」のない会社が増えて欲しいと願っています。

2018年6月24日日曜日

「人手不足のため閉店します」を回避するには(2018年6月号 vol.24)


4月のことですが、会社の隣にあるラーメン屋が閉店しました。毎日、行列のできる人気店でしたが「人員不足のため閉店します」と張り紙があり、驚きました。
「ラーメン次郎 新橋店」の閉店のニュースはネット上でも話題になったようです。

労働統計の資料から総人口と生産年齢人口(15歳~64歳)を抜き出してみると下のようになります。
(中段が総人口で、下段が生産年齢人口。単位:百万人)
1955  1975  1995  2015  2035  2055
89          112        126        127        115        97
55          76          83          76          65          50
*細かな数字は下記の厚生労働省・労働統計要覧でご確認下さい。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/youran/indexyr_b.html

1995年から2015年を見ると総人口は増えていますが、生産年齢人口は700万人も減っています。1970年頃までの「高度経済成長」、1990年頃までの「バブル景気」、その後の「失われた20年」という言葉は、生産年齢人口の増減で説明できてしまいそうです。そしてこれからは、総人口も生産年齢人口も減っていくので、「失われた20年」が40年、60年と続くかもしれません。



かつての「男社会」に女性や外国人や高齢者を迎えることで労働力の減少を緩和させようとするので、ダイバーシティの推進が重要になっています。が、頭だけでなくハートで理解するのは大変です。
以前、私の職場にはパキスタンの人(Nさん)が勤務していました。イスラム教徒の彼とランチに行ったとき
「この店では豚肉は出ないので、なんでも安心して注文して下さい」
と言われました。ランチに誘ったのは私でしたが、店を選んだのはNさんです。イスラム教徒にとって日本の一般的なレストランは安心できない場所なのだと、初めて知りました。

「日本は遅刻にうるさいから、もう少し早めに来た方がいいよ」と彼に助言しました。親切心から言ったつもりですが「日本は時間に厳しいですよね」と流されてしまいました。
Nさんの遅刻の頻度はその後も変わらず、私は“助言を聞いてもらえなかった”と感じました。
私は規律を重視する職場にいた期間が長かったため、「遅刻厳禁」が当たり前だと思っていました。しかし、今の会社に移り、出張して海外の同僚と会議をしたりすると、集合時間の前にきっちり席についている国の人の方が少数派でした。「時間管理よりも成果主義」のカルチャーだと5分や10分の遅れは遅刻ではないようです。

少し前に会った大手電機メーカーの社員から「うちの部署は完全な裁量労働制なので、遅刻の概念がありません。遅刻どころか、会社に来ない日があっても誰にも気にしません」と聞きました。システム系の事業部に所属している中堅社員で上司や部下との連絡もメールやチャットアプリが基本になっているそうです。
「社内には遅刻にうるさい部署もありますが、私のところは同僚と同じ空間にいる必然性がありません。成果主義が徹底され、部門の業績も好調です」
とも言っていました。

ベルトコンベヤの前で行う作業のように、遅刻しなければその分だけ生産量が上がるタイプの職場では時間の管理が重要になります。ひょっとすると、遅刻にうるさい文化は「工場のみんなは時間通りに頑張っているのに、本社の人間が遅刻していたんじゃ示しがつかない!」という雰囲気が生んだのかもしれません。

「時間や行動を管理されないと規律が乱れてしまう集団」と「成果を求めるマインドにより自然と秩序が整っていく集団」
どちらででも自由に選べます、と言われたら多くの人が後者を求めるはずです。
労働力不足の時代に優秀な「人財」を確保したいなら、職場のカルチャーや組織の意識改革が重要になりそうです。

【以下は宣伝!】
採用だけでなく、組織の改革に課題を感じている方も当社にご連絡下さい。提携している組織人事系のコンサルファームと一緒に課題を解決します。改革の過程で必要な「人財」は当社から紹介いたします。

連絡先:k.iso.transearch@gmail.com 

2018年5月27日日曜日

「会社」よりも「部活」の方が辞めるのは大変?(2018年5月号 vol.23)

「そんな会社、辞めちゃえばいいじゃん」
「辞めて行くとこあるなら、とっくに辞めてるよ」
居酒屋などでそんな会話を聞いたことのある人も多いのではないでしょうか。

大学の体育会や高校の運動部に所属している人に対して
「そんな部活、辞めちゃえばいいじゃん」
とは簡単に言えないような気がして、会社よりもむしろ部活の方が辞めにくいのではないかと思いました。

理不尽な指導者に我慢ができない場合、プロや社会人の選手なら他のチームに移る選択肢もあります。しかし、大学生や高校生が部活のために転校したら、学業ではなく部活が本業ということになってしまいます。本音では部活が本業の人もいると思いますが、部活のために学校を変えるのは困難であり、指導者に恵まれない学生の悩みは深刻です。

仕事上、会社のコンプライアンス違反に悩んでいる人の相談を受けることもありますが、話を聞いていると「確かにその会社は辞めた方がいいですね」と言わざるを得ないケースがたまにあります。
「品質に関するデータを書き換えることが日常的になっていて『どうしても納得いかない』と言い続けたら会社にいづらくなってきました」
これは7~8年前に聞いた話です。そのときは、あの有名な会社がそんなことをしているのかと驚きましたが、最近はデータ改ざん事件のニュースも増えているので、同じような話を聞いても驚かなくなってしまいました。

品質保証のデータを改ざんしたり、経理の記録を不正に操作したり、食品の産地を偽装したりと、不祥事が次から次に出てきます。しかしこれは社会が正しい方へ向かっている過程での出来事なのかもしれません。データの改ざんを「どうしても納得いかない」と考えても、その会社で定年まで働くしかないのなら「黙っている方が得」と考えても不思議ではありません。しかし、転職が当たり前の時代になると、社内の「闇のオキテ」が外部に漏れてしまうリスクがあるので、闇の部分を幹部が黙認することができなくなってきます。また、転職する覚悟で内部告発をする人もいるので不祥事が表に出るケースも増えてきました。

“絶対にバレないのなら、ズルして得をしてもいい”
“清く正しく、すがすがしい気持ちで生きたい”
人間の心には、両方の気持ちが潜んでいるのではないでしょうか。ちなみに私は「絶対にバレないだろうけど、閻魔さまが見てるかもしれないから、ズルしないようにしよう」と思って行動することがあります。そう思って行動しているうちに、ズルしない方が長期的には得をすることに気づきました。
得をするからズルをしない、というのは極めて打算的で偽善的ですが、正しいと思う方を選んで行動していると、すがすがしい気持ちで生活できます。

部活に話を戻すと、理不尽な指導者がいるときの対処法を学ぶことも課外学習の一つと思えば、少しは悩みが減るかもしれません。
社会人になって、
「(証拠を残さないために)命令はしないけど、ちゃんと忖度して行動しろ!」という人が上司になってしまった場合は、異動願いを出すか、転職することをお勧めします。
スポーツにおいて他のチームでも活躍できる実力が大切なように、他社でも必要とされるスキルを身につけましょう。
(あ、メルマガにもブログにも学生さんの読者はいなかったかな???)

2018年4月22日日曜日

「ソラーメ、カザカミ」って何??? (2018年4月号 vol.22)

電車の中で本を読んでいると、目の前に著者の先生が座っていました。
本のタイトルは『戦略思考コンプリートブック』で、著者は河瀬誠さん。
河瀬さんの講演を何度か聞いたことがあり、facebookでは、いつも最先端の情報や有意義な見解を教えてもらっています。

上司に薦められて『戦略思考コンプリートブック』を読んだのは5~6年前のことです。今回再読して新鮮に読めてしまう部分(忘れてしまった部分)もたくさんありましたが、身についていたこともありました。

その一つが「空、雨、傘、紙」です。
一般的には「空、雨、傘」のフレームワークと呼ばれているようですが、河瀬流では「紙」が大切ということになります。
「空、雨、傘、紙」の四つを「ソラーメ、カザカミ」と唱えて覚えました。

今回、河瀬さんの許可をもらいましたので、今月号では「空、雨、傘、紙」について、
私なりの解釈を交えてお伝えしたいと思います。

「空を見て明日は雨が降るかもしれない、と思ったら傘を用意しよう。
傘を忘れないように、玄関に『傘』と書いた紙を貼っておこう。」
雨が降りそうなら、紙に書かなくても傘を忘れることはないかもしれません。
しかし仕事に関しては「紙」に書かなかったので実行が不十分だった、ということはよくあります。

傘はソリューションの一つです。雨に濡れないためのソリューションには
「傘をさす」「カッパを着る」「出かけない」などがあります。
ソリューションとは検証が済んだ仮説のことです。明日の雨対策には
「傘でいいだろう」「カッパがいいはずだ」「出かけない方がいいかもしれない」
というのは仮説です。傘かカッパか、出かけない方がいいのかは検証して決めます。

「出かけない」というソリューションを選択した場合は、アポイントを変更する、
アポの変更によるスケジュール遅延を計画表に反映させるなどのアクションをとる必要があります。「傘を持つ」だけなら紙に書く内容は簡単ですが、「出かけない」ことがソリューションの場合、実行計画を細かく定める必要があります。

「空、雨、傘、紙」を意識していると、雲行きが怪しくなった段階で傘と紙のことを思い出せるようになります。空(雲行き)は事実で、雨は事実から予想される出来事、傘がソリューションで、紙はアクションプランです。

少し前の日経産業新聞の一面に
「ペッパー面接官、怒涛の質問攻め」
と大きな見出しがありました。

その記事を読んだとき、雲行きが怪しくなってきた、と感じました。
面接官役のロボット(ペッパー)が学生と会話し、学生の言葉や表情をAIで分析して点数をつけるそうで、読んだときにドキリとしました。
人材紹介の仕事では、求人企業から「誰が活躍しそうですか」と聞かれることもあるわけですが、ロボットによる評価の方が信頼性が高いという時代がくるかもしれません。

ロボットが学生を面接した事実(空)があり、AIが人材紹介業の一部を代替する可能性(雨)があります。さて、傘を持つべきか、カッパを用意すべきか。
そして、いつまでにアクションプランを立てなければならないのか。

差し迫った危機ではないので、もう少し事実を集めてしっかり分析しよう、
と思ってしまいがちですが、分析や仮説の検証をしているうちに手遅れになっては意味がありません。

うーん、と唸っていくら考えてもソリューションが見つからないときは、河瀬先生に
聞いてみようと思います。

↓ 日本実業出版社『戦略思考コンプリートブック』のご案内


(本の左右にあるクリスタルオブジェは、トランサーチ・ジャパンがグローバル本部から表彰されたときの記念品で、本文とは無関係です。)

2018年3月25日日曜日

セクハラ、パワハラ、親ハラ??? (2018年3月号 vol.21)

「お父さんの電気屋さんを手伝うから進学しなくていいよ。うち、家計が大変じゃん」
と息子が言うと「なまいき言うな!」と父親は怒り、最後に

「学んだことは誰にも奪われないから」

と諭して進学を勧めます。
au三太郎シリーズのテレビCMで「鬼ちゃん」が息子の「赤鬼くん」に言った言葉を聞いたとき
「そうなんだよ。学んだことは確実に自分のものになるんだぞ」
と二人の息子に言うと、シラーっとした空気がリビングに広がりました。まあ、想定内です。

CMの続編では、赤鬼くんに反抗期が来ていました。鬼ちゃんが「うちの息子にも反抗期がきました!成長の証です。」と喜んでいると、赤鬼くんは「やめて」と言って怒ります。
中学二年の我が家の長男も反抗期まっさかり。そして兄の影響で小五の次男まで、早々に反抗期に入ってしまいました。むしろ長男よりも父親を毛嫌いする気持ちが強いような…。しかし、小学生なのでまだ子供っぽいところもあります。先日は、アニメのオープニングの場面に合わせて、歌いながら踊っていました。
そのとき、冗談のつもりで「ビデオに撮っちゃおうかな」と言ってスマホを構えるふりをしました。やりながら“あ~、これ、絶対に嫌がるな”と気づいたのですが、次男は「撮らないで!」と怒り、踊りを止めました。

「冗談だよ。いいじゃないか、昔はたくさん撮ったんだから」
と言ってみましたが、次男の機嫌は直りません。
「うちの息子にも反抗期がきました!」と言って鬼ちゃんの真似をするとさらに怒りそうなので止めておきました。

さて、ここで次男の気持ちになってみると、ビデオに撮ろうとした私の冗談は、親の立場を利用したハラスメント行為だと感じるかもしれません。私自身、中学生の頃は父親にからかわれる事がすごく嫌だったので、次男の気持ちを理解できないこともありません。
たわいない冗談のつもりが相手にとっては本当に不快なハラスメントになってしまう。これってセクハラと同じ構造だと思いました。
悪意のあるセクハラは厳しく断罪されるべきですが、話している途中で“あっ、これって相手は不快に感じるかもしれない”と気づいた場合には、すぐに謝りましょう。

「学んだことは誰にも奪われないから」と繰り返すことも、子供にとってはハラスメントかもしれません。しかし、親としては子供を正しく指導する必要があります。
指導とパワハラの関係について
「パワハラの加害者は自分の行為を『部下を育てるために必要な指導だ』と必ず言い訳します」
と産業医の先生に聞いたことがあります。
「パワハラと指導の境界を明確に線引きすることはできませんが、部下が育っていないのなら、その上司の行為はパワハラに近いのだと私は考えています」
とも先生は言っていました。


部下の育成と子供の教育は同じではありませんが、成長の方向がおかしいと感じたら、自分の教え方にも注意してみようと思います。


2018年2月25日日曜日

出戻りは是か非か? (2018年2月号 vol.20)

早期退職制度を作ると優秀な人から辞めてしまう、という話はよくあります。
それを防止するために、ある会社では人事が認めた人に限って早期退職の優遇を受けることができる制度を作ったそうです。つまり、退職してほしい人には割り増しの退職金を積み、優秀な人が早期退職を申し入れた場合は自己都合退職として扱う、という制度です。

「私は早期退職の適用対象ではありませんでしたが、そのタイミングで辞めました。そのまま会社にいても将来のリスクが高くなるだけだと思いましたので。しかし、あんな制度ってありなのですかね」
ある人からそう聞いたことがあります。

どこの会社でも優秀な人には会社に残ってもらいたいと考えますが、終身雇用の慣行は薄れ、転職経験のない人は少数派になりつつあります(*1)。かつての大企業は巨大なムラ社会だったので、辞めた人は裏切り者、裏切り者とは縁を切る、という風潮がありました。当然、一度辞めた人が戻ってくることは許されません。

しかし最近は出戻りOKの企業が増えてきました。ある外資系コンサルティング会社には出戻り歓迎の対象者を明記したリストがあるそうです。
社員が辞めるときに、出戻り歓迎リストに載せる人とそうでない人を選別し、出戻り歓迎の人には連絡をとります。人事部が退職者を制度的にケアしているわけではなく、退職した人と親しかった社員から連絡してもらい「その気になったら戻っておいでよ」というメッセージを伝えているそうです。
「優秀な人が社外で経験を積むと、うちの会社にいた場合とは別な形で成長しています。外での経験を我が社に持ち込んでくれると社内が活性化するので、優秀者の出戻りは歓迎しています」
とその会社の会長は言っていました。

歴史のある日系の大企業でも出戻りOKの会社は増えていて、人事担当者から
「戻ってきた人はロイヤリティが高くなっている傾向があります。うちの会社しか知らないと隣の芝生が青く見えることもありますが、隣の会社に行ってみたら、うちの方が良かったと感じているのでしょうね。出戻りして以前と同じ成果しか上げられないのでは恥ずかしい気持ちもあって頑張っているのだと思います」
と聞きました。



転職相談に来た人に「出戻りを考えたことはありますか」と質問すると大企業への出戻りに関しては「その気はありません」と答える人が多い傾向にあります。
一方で中小企業への出戻りについては「やりたい仕事をやらせてもらえるなら」とか「ポジション次第ですね」などの答えが返ってきます。中小企業では優秀な人財の獲得がいつも課題になっているので、出戻りの人が部長や役員になることも珍しくありません。

大企業の場合は、出戻りの人を重要な役職で迎えると、社内で頑張っていた既存社員に不満が出るということもあり、部長や役員として戻ったという話はあまり聞きません。しかしパナソニックに専務として迎えられた樋口泰行氏のような事例も出てきました。
女性や外国人の採用によるダイバーシティーの推進だけでなく、カルチャー的な多様性を高めるために出戻り社員を採用するケースは増えていくかもしれません。

あなたの周りに出戻り社員はいますか。

*1総務省統計局の労働力調査(下記のURL)によると全就業者6522万人のうち、「過去1年間に離職を経験し、現在は就業している」と回答した人は311万人で、2013年から2017年までの5年で見ると1495万人になります。当社に登録のある人のデータを調べると、50代で転職したことのない人の割合は30%程度になりますが、転職をまったく考えたことのない人が当社に登録することはないので「50代になると7割の人が転職を経験している」とは言えません。転職したことのない人が少数派なのか多数派なのかを客観的に示すデータを見つけることはできませんでした。

総務省統計局の労働力調査
http://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/nen/dt/ 

2018年1月20日土曜日

「スマイル」と「いいね」は0円。では「ありがとう」の値段は? (2018年1月号 vol.19)

スマイル、0円。
かつて、マクドナルドのメニューに明記されていました。私がスマイルを注文したことはありませんでしたが、いいキャッチコピーだと思っていました。
(学生時代「あと、スマイルも下さい」と元気よく注文していた友だちがいて、彼の性格を少しうらやましく感じていました。)

いいね、0円。
こちらは飲み会の席で聞いた言葉です。
「いいね、0円」とは、お客さまのコメントに対してガンガン「いいね」を押してもコストはゼロ円、という意味です。営業先で
「いつも『いいね』してくれて、ありがとう」
と言われたらしめたもの、だそうです。

「スマイル、0円」も「いいね、0円」もお客様に対するアピールですが、さわやかさでは「スマイル、0円」の圧勝ですね。

さて「スマイル」と「いいね」の次は「ありがとう」の値段についてです。

私は、仕事の本質は「ありがとう」と「ありがとう」の交換だと思っています。
たとえば、炎天下でのどがカラカラに乾いているとき、みずみずしいトマトをもらったら、だれでも「ありがとう」と言うはずです。

「ありがとう」だけでは申し訳ないので、もし自分がジャガイモを持っていたなら、それを差し出すことでしょう。ジャガイモがなければ、トマトをくれた人の肩でも揉みたくなるかもしれません。

トマトの価値とジャガイモの価値を比較してどちらが得かを考えたり、トマト1個分の肩揉みサービスを何秒にすべきだろうかと考えたりすることも重要ですが、
「ありがとう」と言ってもらえればお金は後からついてくる、
と考える人もいます。



トマトを売ってお金を支払ってもらった場合、一般的には売った人がお客さんに「ありがとう」と言います。トマトを買って、売り主に「ありがとう」という人もいれば、黙って持ち帰る人もいます。
黙って持ち帰る人の理屈としては、儲けさせてやったのだからお礼を言う必要はない、ということかもしれません。
しかし、おいしいトマトを安く買えたと思えば、自然と「ありがとう」と口にするでしょう。

売り手と買い手がお互いに得をしたと思うときに「ありがとう」と「ありがとう」の交換が成立します。そう考えると「ありがとう」は0円ではなく、「ありがとう」の総量が企業活動の付加価値に現れてくるとも言えるのではないでしょうか。

「テーブルの上で握手していても、その下では激しい蹴り合いが続いている。」
ビジネスや外交の世界では、そのように言われることがあります。逆に「テーブルの上でケンカしていても、下ではこっそり握っている」というケースもあるかもしれません。

仕事の世界は綺麗ごとばかりではなく、ライバル企業を戦略的に出し抜く必要もあります。

しかし「ESG(EnvironmentSocialGovernance)投資」や「SDGs(持続可能な開発目標)」などの言葉が広まっていく世の中や、隠ぺいや腐敗体質が露見しやすい社会においては「ありがとう」をたくさん集めた企業が勝ち組企業になるかもしれません。