
例えば優秀な弁護士は、勤務先の事務所を変えることがあっても「転職」したとはみなされず、包丁の代わりに知識とスキルを磨いておけば、どこの法律事務所に行っても活躍することができます。
人事をしている人が会社を変えると一般的には転職したと言われますが
「僕は人事のプロなので職種に関しては転職したことはありません。役割が終わったら、職場は変えますけど」
と言った人がいました。その人は、ベンチャー企業が数百人規模に拡大するフェーズで人事制度を構築するのが得意で、自分が作った制度がうまく回り出して運用を監視するだけになると、退屈になって次の会社を探すというスタイルをとっていました。
プロ経営者と呼ばれる人もある意味においては「包丁一本派」であり、彼らにとっての包丁は企業を経営するスキルです。
「プロ経営者というのは渡り鳥でしかなく、短期的な視点で結果を出すことだけを考え、ダメならまた別な企業に行けばいいと思っているとんでもないやつらだ」と考える人もいます。
「まったくの異分野からやってきて業界のことも知らず、経営ができるわけがない」という意見はもっともだと感じます。
転職を経験する前の私は、この二つの意見に概ね賛成していました。しかし、経営不振に陥った企業にメインバンクから送り込まれた銀行員が、倒産寸前だった企業を立て直すことができるのは何故なのだろう、と不思議に思っていたことも事実です。
1980年代に危機的な状況に陥ったアサヒビールには、当時の住友銀行から樋口廣太郎氏が送り込まれました。樋口氏の書いた本には、入社時のアサヒビールにはスーパードライを生み出すための技術はあったが、職場に「おはよう」の声はなく、最初に取り組んだのは挨拶運動だった、と書いてありました。
樋口氏は、エレベーターや廊下で社員に会うと自分から積極的に「おはよう」と声をかけたそうです。経営トップが挨拶運動の号令をかけることは簡単ですが、一人ひとりの社員に自分から声をかけるのは簡単ではありません。プロ経営者にとって、財務分析や戦略の立案ができることは必須のスキルですが、自分から「おはよう」と言えることも重要な資質の一つではないかと感じました。
感情的に反発したくなる人に対しても、挨拶をするだけで決定的な対立を防ぐことはできます。逆に「おはよう」の一言もなければ、お互いが「挨拶もしてこないやつ」と感じて敵対関係は深まります。
包丁さばきのようなプロフェッショナルとしてのテクニカルスキルを高めることも重要ですが、明るく元気に挨拶することなどのコミュニケーション能力を向上させることも非常に重要です。
同僚の担当領域ですが、私の会社では一流のシェフを紹介して欲しいとの依頼を受けることもあります。採用試験の中に料理の実演もあるのですが、いくら料理の腕がよくてもコミュニケーション能力の不足を理由に不合格となることもあるそうです。
そういえば私が「包丁一本派」だな、と感じる人もベースにはコミュニケーション能力の高さがあります。逆にテクニカルスキルが突出しているのに、職人肌の気難しい人には「もったいないな」と感じてしまいます。
テクニカルスキルとコミュニケーション能力(ポータブルスキルと呼ばれるものの一つ)の両方を高めることが、サラリーマン生活のリスクヘッジにもなることを意識してはいかがでしょうか。